前回からの続き。

前回の園日記において、「京王幼稚園の特色」について書かせていただきましたが、その続きです。

小学校に上がる前の子どもたちに必要な教育とは何なのでしょうか?ひとつ言えることは、「子どもが自分自身を肯定出来ること」ではないかと思うわけです。では肯定出来るためには何が必要なのでしょうか?それは「生まれてこなきゃ良かった」と思わせないことです。では生まれてこなきゃ良かったと思わせないためにはどうすることが重要なのでしょうか?それは「その子ども自身の存在そのものを愛している人がいる」ことに尽きるのではないでしょうか。例えばスポーツや勉強を一生懸命やって、一番を目指すことは素晴らしい事ですが、一番はその字の通り、一人にしか与えられない称号です。では一番を目指してなれなかった子どもはダメなのでしょうか?そんなことはないわけですよね、何かを達成しようとする「努力」はこれから先の人生を生きていくうえで常に必要となることですし、他者と切磋琢磨して、刺激を受けて物事に取り組んでいくことはとても意味のあることです。子どもたちには計り知れない可能性の広がりがあります、ですから頑張ったうえで一番になれなかったとしても、その努力する過程で得たものは物凄く大事なんだ、ということを伝えていきたいのです。努力する過程で出会う人や事柄、自分との対話など、その後の人生を豊かにする要素は無限にあります。全ての子どもたちには幸せになってもらいたいですし、夢や希望を持ち続けていて欲しいのです。就学前の幼児期=幼稚園時代というのは人間の人格を形成する上で最も重要であり、取り返しの効かない時期です、であればこそ、あえて何かに特別に力を入れている、とは申し上げたくないのです。

とはいえ教育の中心に据えている事はあるんですね、それは「いのち」についての学びです。とはいえ、具体的にそのことについての活動を始めたのは昨年からなのですが、その活動というのは「栽培」です。栽培と言えば、「さつまいも」やプランターで育てる「キュウリ」や「プチトマト」などは以前から行っていましたが、昨年から「トウモロコシ」も始めました。そして今年からは新たに「ジャガイモ」の栽培もおこなっています。サツマイモについては時折バスで出かけて様子の観察などを行う程度ですが、トウモロコシとジャガイモについては苗や種イモを植えるところから子どもたちに行ってもらいます。その後は成長の様子を観察したり、草を取ったり小石を拾ったりしていきながら関わっていきます。だんだんと大きくなり、例えばジャガイモの花を見て感動したり、バスの運転手さん達が虫よけに張ったネットに驚いたりして、そしていよいよ収穫となります。ジャガイモが砂の中に埋まっているということ、トウモロコシが地上でなっているということなどを学んでもらい、トウモロコシについては収穫したあとのものを畑から引き抜いて集め、それが「堆肥」となって次の年のそれぞれの作物の栄養になるのだということまでを子どもたちに伝えます。それだけではなく、栽培には出来るだけ化学肥料を使わないようにしているので、虫が食べているものも多くありますが、そのことも子どもたちにとってはとても大きな経験になると考えています。畑にはそれこそ無限の「なぜ?なに?どうして?」が埋まっています。もちろん収穫した作物は、幼稚園で子どもたちにも手伝ってもらいながら調理し、そして食べます。子どもたちは自分が関わった、育てたという気持ちがあるので愛おしそうに作物を両手で抱えている姿もとても可愛いものです。

収穫量がある程度あれば、少しでもお家に持って帰ってもらい、親ごさんと一緒に食べてもらうようにしています。そのときにきっと沢山のお土産話を聞かせてくれると思います。栽培は、いのちというものに対する考え、例えばジャガイモやトウモロコシやサツマイモも「生きているということ」そして「そのいのちを食べて自分たちが生きているということ」何より、「慈しみの気持ち」が深く養われるものだと考えています。畑に植えて、それがだんだんと成長し、そしてやっと食べられるようになるまでの長い過程や、沢山の人の力で出来ているということ、このことも必ず伝わると思います。そういった事が、前回にも書きましたが、100年以上前から変わらない、幼児教育の基本であるのだと思います。 もし、この文章を読んでくださっている方がいて、少しでも京王幼稚園の考え方に共感していただけたなら嬉しいです。  副